1889パリから2025大阪・関西万博へ 夢をかけた織りを順次紹介「ゆめ織るEXPO — 」展 第二弾(パリ万博編・セントルイス万博編)川島織物文化館
社長 二代甚兵衞 VS 工場長のバトル
アール・ヌーヴォー全盛期のパリと近代化真っただ中のセントルイス
Episode2:Expo1900 Paris / Episode3:Expo1904 St. Louis
2024年11月18日(月)~ 川島織物文化館
株式会社川島織物セルコン(本社:京都市左京区 社長:光岡 朗)は、大阪・関西万博の開催を記念し、本社市原事業所内の川島織物文化館で開催中の「ゆめ織るEXPO — 万博と織物の意外なつながり —」展の第二弾 パリ万博編・セントルイス万博編を11月18日(月)より開催します。
地球規模でさまざまな課題に取り組むべく、世界中からたくさんの人やモノが集まる「万国博覧会(以下 万博)」。川島織物セルコンは明治期より万博へ出品し、その都度、渾身の思いを込めて、織物を制作し発表してきました。
ゆめ織るEXPO展の第二弾では、パリ万博(1900年)、セントルイス万博(1904年)出展時のエピソードを紹介。過去の経験を踏まえ、海外の好みやニーズを意識しつつ、和・洋テイストの2作品を出品するものの、販売先の確保に苦労したパリ万博。日本の織物を世界に広めたい二代目社長の川島甚兵衞と、パリでの苦労を繰り返したくない工場長の対立が勃発したセントルイス万博。織物の魅力と共に、なぜこの作品だったのかを解き明かしていきます。
当展では、川島織物文化館が所蔵する万博関連の資料をもとに、約1年半にわたって万博と織物の意外な関係を紹介していきます。1893年のシカゴ万博のエピソードを紹介した第一弾と共にお楽しみください。
■企画概要
「ゆめ織るEXPO — 万博と織物の意外なつながり -」展では、明治期の万博資料を中心に、万博と織物について紹介します。出展品の制作秘話や苦労話なども交え、当時の記録や文献を通じて紹介していく長期開催の企画展です。
Episode2:Expo 1900 Paris ―― パリはいつもおしゃれだった アール・ヌーヴォー全盛期の花の都での経験
1893年のシカゴ万博出品時に、日本と海外では好みやニーズが異なる事を強く感じた二代川島甚兵衞。続く1900年のパリ万博でも、海外で評価を得るために、テイストの異なる2つの作品を出展するという方針は踏襲し、武具の虫干しをする様を描いた日本画をデザインソースに綴織壁掛で表現した“和”の「武具曝涼」、油絵で描かれた洋犬を綴織で織り上げ額装した“洋”の「群犬」を出品。技術や表現は評価され大賞を受賞したものの、アール・ヌーヴォー全盛期のフランスでは、販売先を探すのに、大変な苦労を強いられました。
Episode3: Expo 1904 St. Louis ―― 二代甚兵衞 VS 工場長 高木 二人の織物愛の行方は?
誰よりも織物を愛し、絶対的な自信を持つ二代川島甚兵衞と、1900年のパリ万博で苦労を強いられた工場長の高木由三郎。セントルイス万博では二人のバトルが勃発します。織物の新しい使い方を考えていた甚兵衞は、空間の出展に挑戦。日本式室内装飾として「若冲の間」「網代の間」の二つの空間を出品します。特に伊藤若冲の世界感でトータルコーディネートされた「若冲の間」は好評を博し、名誉大賞などを受賞しました。一方、パリで西洋の流行を目の当たりにした高木は、当時人気の高かった戦の様子を、流行色の紫を意識して織り上げた綴織壁掛「蒙古襲来」を制作。こちらも好評を博し、海外の博物館へ収蔵されました。ただ、甚兵衞の意に沿わない作品を制作した高木は、社長の逆鱗に触れたとの記録も…。
■ 「ゆめ織るEXPO — 万博と織物の意外なつながり — 1889パリ から 2025大阪・関西」展
エピソード2 パリ万博 エピソード3 セントルイス万博
会期 | 2024年11月18日(月)~2025年12月25日(木) |
会場 | 川島織物文化館 |
休館日 | 土・日・祝祭日、夏期、年末年始 (川島織物セルコン休業日) |
入館料 | 無料 |
見学予約 | ※ご見学は事前予約制です。 見学をご希望の方は、あらかじめインターネットでのご予約をお願いします。 詳細は 川島織物文化館ホームページ をご確認ください。 |
その他 | 第一弾 (プロローグ 万博のはじまり/エピソード1 シカゴ万博)の情報はこちら |