1889パリから2025大阪・関西万博へ 夢をかけた織りを順次紹介「ゆめ織るEXPO — 」展 第三弾(リエージュ万博編)川島織物文化館
株式会社川島織物セルコン(本社:京都市左京区 社長:光岡 朗)は、大阪・関西万博の開催を記念し、本社市原事業所内の川島織物文化館で開催中の「ゆめ織るEXPO — 万博と織物の意外なつながり —」展の第4章となる、リエージュ万博編を2月17日(月)より開催します。

地球規模でさまざまな課題に取り組むべく、世界中からたくさんの人やモノが集まる「万国博覧会(以下 万博)」。川島織物セルコンは明治期より万博へ出品し、さまざまな織物を制作・発表してきました。その一つ、1905年にベルギーで開催されたリエージュ万博では、日本の花鳥風月を綴織で表現した空間の提案「百花百鳥の間」を出品しました。
二代川島甚兵衞は、日本の四季の魅力を花鳥画の雅やかな構成で織物に表現し、海外へ広めたいと考えていました。異文化に迎合せず、日本独自の美を活かしながら海外のニーズと調和させるため、風俗・戦闘などさまざまな題材を和洋のテイストで試し、博覧会にも出品。その試行錯誤の末にたどり着いたのが――『やっぱり花鳥画』でした。
本展では、「百花百鳥の間」を通して、文化の融合を目指しながらジャパンメイドの美と技を世界に届けようとした、二代川島甚兵衞の努力と挑戦の集大成を紹介します。日本の織物が万博でどのように花開いたのか、ぜひご覧ください。
■展示詳細
Episode4:Expo 1905 Liege
―― やっぱり花鳥画 日本スタイルの極み 二代甚兵衞の集大成 「百花百鳥の間」
1904年のセントルイス万博で、伊藤若冲の極彩色の画を基にした綴織を用い、「若冲の間」を出品した二代川島甚兵衞。一枚の織物ではなく室内全体を構成する織物の表現に挑戦し、好評を博しました。続くリエージュ万博では、さらに室内空間としての表現を追求し、自身が理想とする花鳥画の構成で日本の四季を表現した「百花百鳥の間」を出品しました。

この「百花百鳥の間」は、織物の原画を日本画家の菊池芳文(※)に依頼した、百種の草花が壁面全体に、天井と壁面には百種の鳥を配した豪華絢爛な空間です。日本の四季が生み出す美を世界に伝えたい一心で作り上げた、二代甚兵衞渾身の作を、原画や模型で紹介します。

※菊池芳文(きくちほうぶん 1862~1918) 大阪で生まれる。幸野楳嶺に師事。楳嶺の没後は竹内栖鳳、谷口香嶠、都路華香とともに「楳嶺四天王」の一人に数えられ、京都画壇において重要な位置を占めた。京都市立絵画専門学校では教授として後進の指導にもあたった。川島織物にはリエージュ万博をきっかけに、作品を制作。百花百鳥の間の綴織用に描いた織下絵(約3m×6m)は、芳文の作品の中でも大規模なものとなる。
■ ゆめ織るEXPO — 万博と織物の意外なつながり —
1889パリ から 2025大阪・関西
エピソード4 リエージュ万博
会期 | 2025年2月17日(月)~2025年10月31日(金) |
会場 | 川島織物文化館 |
休館日 | 土・日・祝祭日、夏期、年末年始 (川島織物セルコン休業日) |
入館料 | 無料 |
見学予約 | ※ご見学は事前予約制です。 見学をご希望の方は、あらかじめインターネットでのご予約をお願いします。 詳細は 川島織物文化館ホームページ をご確認ください。 |
その他 | 第一弾 (プロローグ 万博のはじまり/エピソード1 シカゴ万博)の情報はこちら 第二弾(エピソード2 パリ万博編・エピソード3 セントルイス万博編)の情報はこちら |
■「ゆめ織るEXPO — 万博と織物の意外なつながり -」展 開催概要
「ゆめ織るEXPO — 万博と織物の意外なつながり -」展では、明治期の万博資料を中心に、万博と織物について紹介します。出展品の制作秘話や苦労話なども交え、当時の記録や文献を通じて紹介していく長期開催の企画展です。
Prologue:万博のはじまり ―― 明治期の博覧会の様子(2024年9月公開)
1851年にロンドンで初めて万博が開催されました。日本政府は1873年のウィーン万博に出展以降、さまざまな万国博覧会に出展してきました。川島織物セルコンは、1889年に開催された第4回のパリ万博に初めて出展し、その後も多くの博覧会に出展してきました。当館に残る資料から、明治期の万博の様子を紹介しています。
Episode1:Expo 1893 Chicago ―― “推し活”されたい! 二代川島甚兵衞と2つの織物(2024年9月公開)
二代甚兵衞は、初のパリ万博(1889年)に続き、シカゴ万博で2度目の挑戦に挑みました。前年までに渡米し、アメリカのトレンドを感じ取った甚兵衞は、万全の準備で綴織の大型作品を出展。当時の日本は、日本の工芸品を美術品として世界に認めさせるという大きな目標があり、そのために絶対的な評価を得る作品で“推し活”されたかったようです。
Episode2:Expo 1900 Paris ―― パリはいつもおしゃれだった アール・ヌーヴォー全盛期の花の都での経験(2024年11月公開)
1893年のシカゴ万博出品時に、日本と海外では好みやニーズが異なる事を強く感じた二代川島甚兵衞。パリ万博でも、海外で評価を得るために、テイストの異なる2つの作品を出展。日本画をデザインソースに綴織壁掛で表現した“和”の「武具曝涼」、油絵で描かれた洋犬を綴織で織り上げ額装した“洋”の「群犬」を出品。技術や表現は評価され大賞を受賞したものの、アール・ヌーヴォー全盛期のフランスでは、販売先を探すのに、大変な苦労を強いられました。
Episode3: Expo 1904 St. Louis ―― 二代甚兵衞 VS 工場長 高木 二人の織物愛の行方は?(2024年12月公開)
誰よりも織物を愛し、絶対的な自信を持つ二代川島甚兵衞と、1900年のパリ万博で苦労を強いられた工場長の高木由三郎。織物の新しい使い方を考えていた甚兵衞は、日本式室内装飾として「若冲の間」「網代の間」の二つの空間を出品します。特に伊藤若冲の世界感でトータルコーディネートされた「若冲の間」は好評を博し、名誉大賞などを受賞しました。一方、パリで西洋の流行を目の当たりにした高木は、当時人気の高かった戦の様子を、流行色の紫を意識して織り上げた綴織壁掛「蒙古襲来」を制作。こちらも好評を博し、海外の博物館へ収蔵されました。ただ、甚兵衞の意に沿わない作品を制作した高木は、社長の逆鱗に触れたとの記録も…。
■ 「ゆめ織るEXPO — 万博と織物の意外なつながり — 1889パリ から 2025大阪・関西」展
会期 | 2024年9⽉17⽇(火)〜2025年10⽉31⽇(金) |
会場 | 川島織物文化館 |
開館時間 | 10:00〜16:30(⼊館は 16:00 まで) |
休館日 | 土・日・祝祭日、夏期、年末年始 (川島織物セルコン休業日) |
入館料 | 無料 |
見学予約 | ※ご見学は事前予約制です。 見学をご希望の方は、あらかじめインターネットでのご予約をお願いします。 詳細は 川島織物文化館ホームページ をご確認ください。 |