美しき古裂の世界へのいざない 裂地コレクションで43年 川島織物セルコンのカレンダー
- CULTURE
桜から新緑へと気持ちの良い季節になりました。冬の間はつい億劫になっていた、着物に手を伸ばす気持ちも湧いてきます。そんな季節にぴったりの展示を、川島織物文化館で行っています。
きもの研究家でいらした草柳アキ(石川あき)さん(1927-2007)に寄贈いただいた、昭和初期頃の着物・長襦袢(ながじゅばん)・帯など43点を展示した「昭和のはじめを駈け抜けた とっておきの一着」です。
草柳アキさんからの寄贈品の中核は昭和初期から中期の晴れ着で、色柄は時代性を色濃く反映しており、着物と同じように刺繍(ししゅう)や絞りなどで華やかに彩られた長襦袢、衿元に個性的な彩りを添える半衿(はんえり)など、今よりも着物が身近であった時代の美意識をたっぷりと感じ取ることができます。
目次
そのような展示から創業以来、帯を作り続けている川島織物セルコンとしてご紹介したいのは、こちらです。
写真の織物は、それぞれ幅約68cm、長さは約420cmあります。こちら、何だと思われますか?
実はこれは、着物の帯です。随分と幅が広い帯だと思われるかもしれませんが、丸帯(まるおび)といわれる帯の未仕立ての状態です。
江戸時代中期頃に登場した丸帯は、帯の中でも最も格が高く第一礼装として扱われており、昭和初期頃までは ”帯と言えば丸帯” でした。しかし現在では、芸妓(げいこ)が締めたり一部の花嫁衣装・振袖に使われる程度で、一般には滅多に見ることがない、貴重な帯となってしまいました。
それはどうしてでしょうか。
幅の広いこの丸帯は、表にも裏にも柄がある、非常に豪華な帯です。帯の端から端までどこでも柄があるため、どのような結び方をしても柄が見える「映える」帯でもあります。ただそのため重量があり、締めた(胴に巻いた)際に分厚くなるという欠点もあります。このため、次第に合理的な袋帯(筒状の帯で、裏面には柄が無く、表面も締めた時に見えない胴の一巻き目には柄がないものが一般的)に取って代わられてしまったのです。外側から見えないところにも凝るという、江戸以来の美意識が、昭和中期以降の経済性・合理性に負けてしまったということかもしれません。そんな丸帯が未仕立の状態で残っていることは少なく、これらは貴重な資料でもあります。
仕立て後の丸帯と袋帯は、縦長に見た際に片方の端が輪になっていて、輪になっている部分の柄が表と裏でつながっているかどうかでわかります。
それでは展示品を見てみましょう。
左側の「花葵(はなあおい)」は色糸で織り出された柄の華やかさ・愛らしさと共に、地色の黄色が90年前のものとは思えない新鮮な印象を与え、現代でも十分通用する丸帯です。
色糸や金箔・金糸をふんだんに使用して鳳凰が織り出された、右側の「亀甲鳳凰(きっこうほうおう)」は、どのような格の高い席でも充分に通用するもので、丸帯が持つ豪華さを今に伝えてくれます。
次の二点は絽(ろ)と呼ばれる透けたような雰囲気が特徴の織りの夏用の丸帯です。
冷房が普及している現在、夏季の婚礼や式典でも多くが袷(あわせ)と言われる裏地の付いた着物をお召しになることが多いですが、着物が日常だった頃はもちろん冷房などなく、晴れ着でも喪服でも、きちんと夏用のものがありました。夏でも振袖や留袖には当然、丸帯を結んで、華やかに装ったのです。
涼しげに見えるよう白っぽいものが多い夏の着物や帯の中で、華やかな多色使いの「夏華文」(写真左)は、ひときわ目を惹いたことでしょう。
波濤(はとう)を丸く穏やかにまとめあげた「波の丸」(写真右)は古典的ですが、それだけに廃れることがないとも言え、丸の内側の白い緯(よこ)糸が冴えています。
先にご紹介したこの「亀甲鳳凰」、鳳凰が下を向いています。
上下を間違えたのではありません。これは「引き抜き」という結び方をする際の柄の配置の仕方です。 お太鼓 (背中部分) を作るときの方法が違い、 現在、一般的な結び方をする際に使う帯は、タレ先 (帯を巻き始める方と反対側の端) と、お太鼓(背中部分)の柄の向きが同じですが、引き抜きに結ぶ際に使う帯はタレ先とお太鼓部分の柄が上下逆に、まるで頭を突き合わせたようになっているのです。
さて、草柳アキさんにご寄贈頂いた作品の中には、アキさんが子ども時代に使用されていた着物や帯などもありました。昭和初期のものに限らず、子ども用の着物や帯は残されている例が少なく、川島織物文化館にもアキさんからの寄贈品以外には収蔵がありません。
今回の展示では、その貴重な子ども用の帯も紹介しています。
これは子ども用の幅の狭い帯ですが、これも丸帯です。
子ども用の着物は身頃の裁ち方により、一つ身(ひとつみ)・三つ身(みつみ)などと呼ばれます。今回展示の二点は四つ身(よつみ)用(5歳~12歳頃)と三つ身用(2歳~4歳頃)で、幅は26.4cmと21.2cm、それぞれ三つ身・四つ身の基準寸法である鯨尺の五寸五分と七寸(※)に仕立てられています。背丈に合わせて、帯の幅も細かく変えていたのです。
※ 1寸=3.78cm
そして「市松に蝶々」。これも今となっては珍しい、絽の丸帯です。
まさに ”帯と言えば丸帯” であり、大人用とは幅や長さが異なる子ども用の丸帯も、夏物も含めて一定の量が生産されていたと推測されます。
大正から昭和初期にかけて、第一次世界大戦・関東大震災・世界恐慌・満州事変から太平洋戦争と、時代は決して穏やかはありませんでした。が、同時に、着物文化の爛熟(らんじゅく)期とも言われています。文明開化を経て洋装化が進む一方で、西洋の新たな技法や題材を得た着物文化は、江戸時代にも勝る繁栄を遂げていたのです。帯一つとって見てみても、時世を撥ね返すかのような情熱を込めて生み出されていたことがわかります。その美しさを感じ取っていただければと思います
「昭和のはじめを駈け抜けた とっておきの一着」展は、2023年1月31日(火)まで開催中です。
ぜひお着物でお越しください。
昭和のはじめを駈け抜けた とっておきの一着
会期 | 開催中 〜 2023年1月31日(火) (予定) |
会場 | 川島織物文化館 |
休館日 | 土・日・祝祭日、夏期、年末年始 (川島織物セルコン休業日) |
入館料 | 無料 |
関連リンク | 展示情報 昭和のはじめを駈け抜けた とっておきの一着 チラシ |
その他 | ※ご見学は完全事前予約制です。 ※新型コロナウイルス感染防止のための対策を講じた上で、運営をしています。 ご理解とご協力をお願いいたします。 詳細は ホームページ をご確認ください。 |