MINTON

Morris Design Studio
Morris

Brand introductionブランド紹介

MINTON、1793年から続く『イギリスデザインの縮図』

デザートセット
オーストリア皇帝のために創作された
デザート用セット(1852年頃)

ミントンは、腕の良い銅版彫刻師であったトーマス・ミントンが1793年に創業し、その後180年にもわたって家族経営が続けられました。

1820年、新しく考案したボーンチャイナの茶器装飾のためにトーマス・ミントンが雇い入れていた絵付師は50人。1870年になる頃には従業員数は1,500人にまで増加しました。 ミントンの顧客リストには、ヴィクトリア女王のほか、ヨーロッパの王室、日本の皇室、インドのマハラジャ、各国大使らが名を連ねました。

1973年にロイヤルドルトンの傘下に加わり、「ミントン」の名でテーブルウェアや装飾陶磁器製品を作り続けていましたが、2015年、WWRDグループホールディングスの一員となり、ミントンブランドは廃止されました。

現在は、1649年創業のフィスカース(フィンランド)経営のもと、ライセンスブランドとして、日本における優れた製品の提供を通じて、豊かな食卓やライフスタイルの提案を続けています。

ディナープレート
ヴィクトリア女王からの命により考えられた
ディナープレートのデザイン画
Thomas Minton Portrait
Thmoas Minton

世界で最も美しい
ボーンチャイナ

ヴィクトリア女王に『世界で最も美しいボーンチャイナ』と称されたミントンは、1793年、トーマス・ミントンによってこの世に生を受けました。卓越したクラフトマンシップとオリジナリティ豊かな技法の開発は、英国陶業界に多大な足跡を残しました。

1793年
トーマス・ミントンによりストークオントレントに開窯
1840年
ヴィクトリア女王、アルバート公とご成婚。朝食用茶器セットをご購入
1851年
ロンドン万博博覧会でマジョリカが英国の会社で唯一ブロンズメダルを授与される
1855年
ヴィクトリア女王、ヴィクトリアストロベリーをご注文
1856年
英国王室御用達となる
1872年
岩倉使節団がミントンを訪問
1876年
英国王室御用達V&A美術館特使が明治天皇に謁見し、ミントンの作品を献上
1896年
英国人建築家、ジョサイア・コンドル設計によるミントンのタイルをベランダに使った岩崎久弥邸が完成
1948年
ジョン・ワズワースによるデザインの“ハドンホール”を発表

Art & Designアート&デザイン

初期デザイン1
左右:形状デザイン画(初期のパターンブックより)

トーマス・ミントンとその後継者たちが守り続けた主義は、芸術性とデザイン性に労苦も資金も惜しまないことでした。その結果、数多くの優秀な画家やデザイナー、彫刻家が欧州大陸中からミントンの工房へと集まり、ミントンで生み出される形状やデザインは「折衷主義」へと変化しました。

競合ブランドと一線を画すその独自のスタイルによって国際的展示会からの出品依頼が相次ぎました。こうした急進的デザインや新しい創作技法、技術がミントンのその後の道のりを確実なものにしました。

ブランドの歴史に対する熱い想いは、現在のデザイナーたちにも変わることなく息づいています。デザインチームは、豊かな伝統とこれまでのアーカイブにインスピレーションを得ながら、現代の影響を取り入れ、常に、最先端のミントン製品を提供し続けています。

初期デザイン2

トーマス・ミントンは、1793年にストーク=オン=トレントで小さな窯元を開きました。トーマス・ミントンとその子孫、そして世界屈指の才能にあふれたデザイナー、画家、彫刻家たちがミントンを築き、19世紀に起きたいくつかの芸術運動の先頭の座へと押し上げ、その後も変化する時代ごとのスタイルに柔軟に応じてきました。

ミントンの最初の成功の背景には、トーマス・ミントン自身の銅版彫刻師としての優れた腕前があります。なかでも、かの有名なブルーの「ウィローパターン」(柳模様)が施されたプリントウェアは彼が考案したものです。また、1800年頃には新たに発明されたボーンチャイナ素地をいち早く取り入れました。

トーマス・ミントンの息子ハーバート・ミントンは独創的、積極的経営手腕で会社を率い、英国王室御用達を認められたほか、ゴシック建築復活の父オーガスタス・ウェルビー・ノースモア・ピュージンや植物学者であり最も先進的なヴィクトリア朝アートデザイナーでもあるクリストファー・ドレッサー、セント・ポール大聖堂のウェリントン公記念碑で知られるアルフレッド・スティーブンズらとの共同創作活動にも取り組みました。

クリストファー・ドレッサーによる図柄
クリストファー・ドレッサーによる図柄
ドア・プレート
オーガスタス・ウェルビー・ノースモア・ピュージンによるドアプレートのデザイン画

Majolica マジョリカ釉

ハーバート・ミントンが最初に色釉に興味を持ったのは、1849年にフランスのルーアンを訪れた時のこと。そこでくすんだ緑色の釉薬で装飾が施された様々な花器を目にし、ミントンの工房への帰路、アートディレクターを務めていたレオン・アルヌーに明るい色合いの鉛釉の開発をもちかけます。フランスの芸術家であり、化学者でもあったレオン・アルヌーはマジョリカ釉と呼ばれる低温鉛釉の開発に成功します。

ハーバート・ミントンは、1851年に開かれたロンドン万国博覧会に積極的に尽力し、1万ポンドの個人資金を投じてこの会の資金面を支えました。アルバート公の署名が入った書簡にその内容が記されています。博覧会では、イタリアのマジョリカ焼きを復刻した「マジョリカ」を発表し、ミントンが英国出品者の中で唯一、「デザインの美しさと独創性」が高く評価され、銅賞を受賞しました。この博覧会会場で、ハーバートはヴィクトリア女王をエスコートする栄誉に浴し、博覧会当日の女王陛下の日記には「ミントンが最高」と記されています。

ミントン ストーク
「ミントン ストーク」(コウノトリ)
ジョン・ヘンク制作 (1870年頃)
パリ万国博覧会
1867年のパリ万国博覧会に出品

マジョリカ釉はヴィクトリア時代を通じて大変な人気を博しました。とくに、自然を題材にしたマジョリカ焼きは最も人気がありました。鮮やかな色彩、綿密な立体表現、そして、ユーモアのセンスが立派な屋敷や温室を彩る大型の芸術作品が求められていたヴィクトリア朝時代のニーズに合致したのです。

ミントンで活躍した47年の間、アルヌーは数多くの新しい工程や素地、色彩、釉薬の開発を指揮しました。

ハーバート・ミントンへの書簡
アルバート公からハーバート・ミントンへの書簡
創作活動中のレオン・アルヌー
アトリエで創作活動中の
レオン・アルヌー

Tiles タイル ハーバート・ミントンは中世のタイルの美しさに魅了され、近代技術で蘇らせることに成功しました。建築家のA.W.ピュージンの協力を得て、ヴィクトリア時代を代表するオズボーン宮殿や英国国会議事堂、そして、米国国会議事堂などにヴィクトリアン・ゴシック様式のミントンのタイルが敷き詰められています。(※ヴィクトリアン・ゴシック様式は、ヴィクトリア女王治世時代に建築家のA.W.ピュージンらにより、中世ゴシック様式を復興させ、世界中へこの様式文化を波及させています。)
日本では、英国人建築家、ジョサイア・コンドルの設計により1896年に完成した岩崎久弥邸のベランダなどにミントンのタイルを見ることが出来ます。

英国王室御用達 1856年、ハーバート・ミントンはミントン社の陶磁器、施釉タイル・無釉タイルを納める業者としてヴィクトリア女王から王室御用達を認められました。

王室御用達を認める書簡
1856年2月付け、王室御用達を認める書簡

Techniqueテクニック

パテ・シュール・パテ技法 1870年、最高の装飾技法と知られる「パテ・シュール・パテ技法」を導入しました。ハーバート・ミントンの甥にあたるコリン・ミントン・キャンベルは、1871年に画家、ウィリアム・ステファン・コールマンの協力を得てサウスケンジントンに建てられたミントンのロンドン工房「Art Pottery Studio」の先駆者であり、また、パテ・シュール・パテ技法の第一人者であったルイ・ソロンを雇い入れます。ルイ・ソロンはその後34年にわたってミントンで創作活動を続け、装飾の立体表現を極めました。その技術は当時はもちろん、今でも高く評価されています。
「パテ・シュール・パテ技法」とは 白いスリップ溶液(粘土の水溶液)を何度も塗り重ねて下地の透け具合で絵柄を表現する非常に熟練した特殊技術を擁する絵付けのこと。
Colin & Louis
Colin & Louis
Colin & Louis
パテ・シュール・パテ技法によって炎と水を
表現したピーコックブルーの花瓶(対の片方)
ルイ・ソロンの作品(1895年頃)
アシッドゴールド

1863年、ミントンの金彩師、ジェームズ・リー・ヒューズが画期的なアシッドゴールド技法を考案し特許を取得しました。それ以前の金装飾は、一つの色としてブラシで着色されていた為、平面的な印象にしかなりませんでしたが、アシッドゴールド技法の開発によって、光沢のあるゴールドまたはつや消しのゴールドの浅浮き彫り模様が初めて可能になりました。

ヒューズは1,000ポンドとアシッドゴールド部門監督者としての10年契約を条件に、この特許権をミントン社に譲渡し、すぐに実用化試験を始めました。手間暇のかかる工程には高度な芸術的技能を要し、この分野にミントンと肩を並べる者がほとんどいなかったのも不思議ではありません。

ミントン社では高級テーブルウェアや彫刻品に複雑なゴールド模様を施す際、アシッドゴールド技法を用いていました。

「アシッドゴールド技法」とは 金を腐食させて模様を作る製法です。陶磁器に耐酸性プリントを施します。白地にブラックの図柄が現れます。次に手作業で表面、裏面、内側、外側など全体を同じ耐酸性剤でコーティングします。これを乾燥させ、フッ化水素酸液に浸すと(保護されていない部分の)模様が食刻されます。浸す時間は慎重に見極め、適切な深さで浸液されるようにします。その後、液を洗い流し、上から金でコーティングし、焼成、研磨、艶出しを行い、24カラットゴールドで2回目のコーティングをしてから同じ工程を繰り返します。熟練の研磨師は、模様の凸面のみを磨き、凹面はつや消し仕上げのまま残ります。
特許申請書
1863年にジェームズ・リー・ヒューズが
アシッドゴールド技法を特許出願した際の申請書
レイズドペーストゴールド

レイズドペーストゴールド技法は、7年の見習い期間を経た熟練の職人によって施されます。この技法を用いることによって、ゴールドの図柄が素地表面から浮き上がって見えます。

職人はフリーハンドまたは線画を用いて、厚みが出る顔料で葉や花、渦巻き模様を施し、立体的な装飾に仕上げます。焼成後、ふくらんだエナメル部分に22カラットゴールドの金彩を施します。最後に、デザインの中に目立たないようサインを入れます。サインが装飾の妨げになるようであれば反対側にゴールドのマークを描き入れます。その後、再度焼成し研磨します。

レイズドペーストゴールドは、初めは輝きがにぶく見えますが、湿らせた珪砂で磨き上げるとすぐに理想の輝きを取り戻します。もう一度、珪砂で磨き、澄んだゴールドの光沢感に仕上げます。

Handpainting 手作業による絵付けは、どのミントン製品にとっても重要な作業であり、専門の職人が陶磁器の素地に直接着色します。多くの場合、絵付けと焼成を複数回繰り返すことによって、陶磁器表面に複雑な図柄を再現します。

シュルーズベリー グリーン プレート
レイズドペーストゴールド技法が見て取れる
シュルーズベリー グリーン プレート
絵付けの一例
手作業による絵付けの一例

Designersデザイナー

ミントンは著名なアーティストを続々と輩出しています。1870年には、フランスのルイ・ソロンが加わり、彼が導入したパテ・シュール・パテ技法は、当時の陶業界にセンセーションを巻き起こしました。その息子レオンは、1890年代にセセッショニストの影響を受けたアールヌーボーの作品で一世を風靡します。

ハーバート・ミントンは、デザイン改革運動の主導者であったヘンリー・コール卿の協力を得て、ティーセットをデザイン、制作しました。この作品はロイヤル・ソサエティ・オブ・アーツから銀賞を授与され、コール卿とつながりができたことによってハーバート・ミントンは後に官立デザイン学校(Government School of Design)に関わることになります。

こうして、ミントンの名とその工房は前衛的デザインの代名詞となり、ゴシック建築で知られるオーガスタス・ウェルビー・ノースモア・ピュージンや植物学者で先進的芸術家のクリストファー・ドレッサーのほか、アルフレッド・スティーブンズ、ウィリアム・ステファン・コールマン、ジョン・モイヤー・スミスらのいずれもすでに自ら名声を得ていた人物がミントンに集結しました。ミントンのデザイナーらの水準はそれほどのものだったのです。

ジョン・ワズワース
アトリエで創作活動中の
ジョン・ワズワース

ミントンを代表する人物はほかにもいます。レジナルド・ハガーは大胆な近代主義的デザインを取り入れた作品を創作しました。また、当時のアートディレクター、ジョン・ワズワースはアールデコ様式の作品を手がけ、1948年にべストセラーである「ハドンホール」を発表しました。1953年にはエリザベス女王の戴冠式に際して、英国陶業連盟を代表して「クイーンズ ベース」(女王の花瓶)をデザインし、女王に献上する栄誉を与えられました。

こうした豊かな伝統が今日のミントンにおけるルネッサンスに重要な役割を果たしています。新しい技術を取り入れながらも芸術性や手仕事に重きを置いた姿勢はそのままに、だからこそミントンの名は今なお高く評価され続けています。

レオン・ソロンによる作画
レオン・ソロンによる作画
クイーンズ ベース
1954年7月14日(水)、バッキンガム宮殿で内々に
女王陛下に披露された「クイーンズ ベース」(女王のための花瓶)

Haddon Hallハドンホール

John Wadsworth Portrait
John Wadsworth

ジョン・ワズワースと
ハドンホール

ジョン・ワズワースは、ミントンの歴代デザイナーの中でも屈指の存在で、英国美術工芸史にもさん然とその名を輝かせています。
1901年にミントン入社後、アールヌーボーそしてアールデコに着手し、ミントンを世界の名窯の中でもひときわユニークな存在として確立させました。1948年、『ハドンホール』と『ハドンホールブルー』をデザインしました。
モチーフは中世の城ハドンホール城の礼拝堂に残る壁画と言われています。パッションフラワー、バンジー、カーネーションが図案化され、東洋的なエキゾチシズムが感じられるこのデザインは、発売以来世界中でベストセラーのパターンです。

Haddon Hallハドンホール

ミントンの中でもほぼ間違いなく最も有名な図柄であり、1948年に考案され、今日もなお作り続けられるハドンホール。
中世よりダービーシャー州にあったこの名の邸宅の壁面装飾に着想を得てデザインされたと言われています。
Haddon Hall teacup
Haddon Hall teacup closeup
Haddon Hall original sketch
ハドンホールのデザイン原画
Aristocrat Mansion 'Haddon Hall'
イングランドに建つ貴族の館「ハドンホール」
The tapestry inspired 'Haddon Hall' design
このタペストリーにインスピレーションを受けデザイン画を描いたと云われています。

Diamond Haddon Hallダイヤモンド ハドンホール

ハドンホール誕生60周年を記念し、2008年に発売されたデザインです。
ハドンホールの色鮮やかなデザインに加え、モチーフがパールのような輝きを放つ地模様としてあしらわれています。
Diamond Haddon Hall teacup
Diamond Haddon Hall teacup closeup

Majestic Haddon Hallマジェスティク ハドンホール

2006年ミントン英国王室御用達150 周年を記念して発表された、ミントンのベストセラー「ハドンホール」のデザインバリエーション。マジェスティックの名にふさわしく、エレガントで高貴なデザインです。
Majestic Haddon Hall teacup
Majestic Haddon Hall teacup closeup

Haddon Hall Trellis
Haddon Hall Trellis Blue
ハドンホール トレリス &ハドンホール トレリス ブルー

英国の美しいガーデンテラスに欠かせないトレリス(格子模様の生垣)をミントンのベストセラー「ハドンホール」にモダンにアレンジしました。
Haddon Hall Trellis teacup

Haddon Hall Blueハドンホール ブルー

ハドンホール誕生60周年を記念して、2008年に発売されたデザインです。
Haddon Hall Blue teacup

Hardwickハードウィック

西洋の伝統に東洋の息吹を吹き込んだような、全く新しいハドンホール。
ジョン・ワズワースが貴族の館ハードウィックを訪れた際、青一色のデザイン「ハードウィック」からインスピレーションを得て、ハドンホールの青一色のカラーバリエーションをハードウィックと名付けました。染め付けを思わせるような独特のブルーがとても印象的です。
Hardwick